2014-05-22 第186回国会 参議院 環境委員会 第8号
こういう連絡会というのは今も開催させていただいておりますけれども、やはり後段の人類と野生生物との共生という観点から、この関係を維持していくためにはやはりもっともっと、縦割りじゃなくて、本来であるならば、多分役所を超えた、人里があり里山があり奥山があるという、この歴史観、文化観を共有する形でこれらの問題に取り組んでいくという姿勢を私たちは謙虚に忘れてはならない。
こういう連絡会というのは今も開催させていただいておりますけれども、やはり後段の人類と野生生物との共生という観点から、この関係を維持していくためにはやはりもっともっと、縦割りじゃなくて、本来であるならば、多分役所を超えた、人里があり里山があり奥山があるという、この歴史観、文化観を共有する形でこれらの問題に取り組んでいくという姿勢を私たちは謙虚に忘れてはならない。
儒教的な文化観、価値観に立てば、自分は、私は谷垣という家に生まれたわけでございますが、谷垣の血を引いて生まれたと。私の娘も谷垣という血を引いて生まれたと思っていると思いますが、だから、死ぬまでというか、結婚してもその自分の家、家といいますか、生まれてきたファミリーの名前を継いでいくという立て方も私はそれは一つの立て方だろうと思います。
もし新しい法律をつくるというのであれば、それは、もう一回また脳死臨調をやって、今言ったようなことが本当にそうなのかということをまず科学的に、そして論理的に、そして、一人一人の市民の文化観とか宗教観とかいろいろなことを前提にした上でやるんだと。そうでない限りは困るので。
それぞれの国々においては、宗教観あるいは文化観、そういうものがあろうと思います。できればこの成立を図り、そして世界に発信をし、そういう問題に世界じゅうで考えられるきっかけにもしてまいりたい、こんな思いで、ぜひこの国会で成立を図っていただきたい、このように思っております。
そして、その際、アイヌ問題についての歴史、文化観というものも、若干私の耳を打つものというか胸を打つものが二、三、今までの私のいわば調査や勉強の中でもありましたので触れておきました。
しかしながら、価値観も人生観も文化観も違うお互いでありますから、一朝一夕には当然成果が上がるというふうなこともなかなか難しい。このことは私なりに理解はさせていただいているつもりであります。
文化観の違いは当然あるべきです。しかし、平和とかそういうものに向かっての価値観を統一するということは一方で必要なのではないだろうか、こう思うのですが、これらのことについてはいかがでしょうか。
私はどうもそこで文化観の違いが非常にあるように思います。最近聞いておりますアメリカやヨーロッパの対日批判は、そうした考え方の差からも来ておりまして、日本が安くていいものを同じ土俵の上で公正に競争して大量につくって何が悪いというのに対するヨーロッパ側の考え方でございます。
まさに依田委員が言われましたように文化観といいますか、哲学ということになっていくのだと思います。わが国の場合には確かに非常に働くわけでありますけれども、その仕事の中に一つの生きがいを感じておる、そういう国民性が相当強うございますのと、他方で、今度は与えられました余暇を十分に有意義に活用していくという、そういう伝統が必ずしも確立をしておらない。
それは、一人の十二、三歳の子供が外国に行った場合に、外国の文化をより吸収したほうがいいのか、あるいは日本人としての同一性をかたくななまでに保つように努力し、日本人学校、日本人ソサエティーというものをつくってやったらいいのかという、それぞれの子供ないしはその父兄の持つ国際観といいますか、人生観といいますか、文化観というものについての根本的な問題があるからではないかと思うのです。
務課長) 井内慶次郎君 会計検査院事務 官 (第一局長) 斉藤 実君 参 考 人 (京都府教育委 員会委員長) 山田 忠男君 参 考 人 (京都市計画局 長) 島村 忠男君 参 考 人 (京都市文化観
この前の国会で通過いたしました京都並びに奈良の国際文化観光都市建設法におきましては、その第三條に「文化観光資源又は文化観施設の維持保存のために文化観光保存地区を指定することができる。」という特別な規定が織り込まれておるのであります。
○政府委員(岩木哲夫君) 只今の仰せのことにつきましては、いろいろ御議論のあることだと存じまするが、新らしい歴史観の上に立つて行かなければならん現在並びに將來の日本の立場といたしましては、旧來の偉人観、或いは文化観、或いは学徳深い聖人観といつたようなものにつきましても、再檢討、再修正をしなければならん点も彼是あろうかと思うのでありますが、併しこうした人もいつの日か國民輿論として生れて來るものと存ずるのでありますが